2012/05/08

伊藤仁斎と牧師説教と霊性

(以下の記事は、2006年執筆原稿の一部を抜粋・修正したものである)

元禄六年(1693年)、すでに体裁を整えていたと考証されている伊藤仁斎の「童子問」という書籍のなかに、じつに感銘深い一節がある。

仁斎の塾の門下生としてまだ日の浅い童子(として設定されている少年)は、自らを生来の痴(し)れ者と卑下するばかりか、他人の考えにも左右されやすく、ついには「論語」や「孟子」すらも疑うようになってしまったことを告白。童子は、仁斎によりかかるようにしてその如何を尋ねた。

仁斎は、次のように答えている。(一部新字体・カタカナに変換)
子欲識予之意。則観語孟二書足矣。今雖為子傾キン倒廩。以盡告之。亦莫能出於二書之外者矣。子能熟讀玩味。有得焉。則雖与予生相ケイ違。阻地隔世。猶相聚一堂。終日論議。心心相照。若合符節。自莫相違。勉旃勿怠。惟恐子徒以為聖門平生親切之書。而不知深意所在。(日本古典文学大系『近世思想家文集』岩波書店第一刷本による)
私の考え方を知りたければ、「論語」「孟子」の二書を読むだけでじゅうぶんです。今私が、あなたのために、二書の一切合財を取り出し、たとえそのすべてを開陳したとしても、その内容がこの二書を越え出る、ということはないでしょう。
しっかりと熟読玩味し、はたと気がつくその時には、私とあなたが、生死の境を異にして離ればなれになり、共に暮らせず、行き交うことさえできなくなったとしても、この塾に皆が寄り合い飽かずに議論を交わす時と変わりなく、心が通い合い、割符(割印)を合わせたように、私とあなたの考えも、おのずから合致するようになるでしょう。
だからけっして怠ることなく、勉学に励みなさい。あなたが二書を卑近な実用書と取り違え、その深意を見落とさないでいられるだろうか・・・私が気がかりなのは、ただそれだけです。(アノニマス)
この一節に、真理の認識は万人に共有されて然るべきものである、という仁斎の強い信念がうかがえるのはもちろんのこと、学習者(教えられる者)に対面する指導者(教える者)の視座のようなものについての洞察も、含まれているように思われる。

特に注目される点は、仁斎が、童子自身の「ポテンシャリティ」に限りない信頼を寄せながら、童子が無事真理に到達する場合もあれば、しかし、そのようにはならない場合もあることをすでに熟知しており、しかも後者の場合への思いを深くしているところにある。

原文中の「熟読玩味」は、韋編三絶して読書三到の境地に達することではあるが、それにもかかわらず、童子に対する「気がかり」が消えていないことには、人間認識のはかなさに対する仁斎の、まさに経験的な予知・洞察、というものが感じられる。

そこには、童子と仁斎の「今」だけが開いている。目的へのやみくもな拍車も、「教える / 教えられる」といった主従関係もない。


かつてヘーゲルは、「存在的一者の反撥は、そのかぎりにおいて、そこにあるものとしてそれらの相互の相互対立的反撥、言い換えれば双方からする排除[一方が排除し、他方が排除されるというのでなく、両方が排除しあう]になる。」(『エンチュクロペディ』 河出書房新社版)、と論じたが、この内容をそのまま反転させてみると、仁斎の洞察にぴったり重なる。

蓋し、仁斎の洞察は、自らが依拠していた宋学や仏教や道家を、自らの意志で批判超克しようとした壮絶な自己闘争のさなか、仁斎のものでありながらもはや仁斎のものとは言えないほどの存在の深みから、突如としてまたたいたものではなかったろうか。だからこそ、童子の「主体」を微塵も奪うことなく、「(ある方域を)指し示し導く」ことにおいて、パラドキシカルな成功を手にすることが奇跡的にできたのではないか。

霊性とは、そういうものなのであろう。

牧師の説教も、そうあってほしいものだ。

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